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【映画】

  • アンドレイ・タルコフスキー: 『ノスタルジア』(1984・伊/露)
  • 原恵一: 『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』(2001・日)
  • 是枝裕和: 『ワンダフルライフ』(1999・日)
  • 今敏: 『千年女優』(2002・日)
  • 高畑勲: 『おもひでぽろぽろ』(1991・日)
  • 山崎貴: 『Always 三丁目の夕日』(2005・日)

【文学】

  • マルセル・プルースト: 『失われた時を求めて』
  • ヘルマン・ヘッセ: 『郷愁―ペーター・カーメンチント』
  • 北原白秋: 『思ひ出―抒情小曲集』
  • 恩田陸: 「ノスタルジア」 in 『図書室の海』
  • ウラジミール・ナボコフ: 『マーシェンカ』

2006年2月17日 (金)

『マーシェンカ』


no.23の評価 : ★★★★☆


 お久しぶりです。
 シリーズを小説にかえた途端,ペースがくずれましたね。時間もうまく取れなかったこともありますが…。
 どうやら小説シリーズは,当初のノルマを果たせそうにありません。たとえば映画の場合に比べ,読むのも読み直すのも,ちょっと負担が大きい。シリーズごとにノルマを設定したほうが宜しいようで…。だから消しました(笑)。
 いまのところ小説シリーズは,時間配分的に一週間に一度が限界のような気がしています。この記事のアップによって生活を圧迫しては元も子もないし,この負担によってこのブログ自体を頓挫させてしまうことはもっと愚かなことです。どうぞご承知おきを…。

 さて今日は,ノスタルジア文学の代表作のひとつ,ウラジミール・ナボコフの『マーシェンカ』です。


 率直な感想としては,十分におもしろかったです,といった感じ。ロシア亡命者(移民)的ノスタルジアの表象のなかでは,わりと違和感やら抵抗感を感じなかったほうだと思う。
 ただ,強い衝撃を受けたかといえば,そうでもない。ただし,本作の元は1925年に書かれたものだから,いわば年代的にも古典の部類に属すのであり,それをふまえれば納得できるものだ。

 一番おもしろかったのは,まさに話の終わりのところ(以下引用)。ガーニンが「今」よりも「過去」,つまり追憶のなかの世界を「選んだ」ところ。
 ただし,ただ選んだことそれ自体について言っているのではない。「もう二度と取り戻せない」という事実を受け止め,その諦念とともに選ぶこと,そして,その追憶のなかの世界こそがガーニンにとって真のリアリティであるがゆえにそうしたこと。これがいいのである。「今」のマーシェンカと会うこと,新しい時間を築いていこうとすることは,ガーニンにとっての「楽園」ではないことに最後気づいたのだ。プルーストのあのフレーズが再び脳裏によぎる。

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新鮮な材木の黄色の輝きはどんなに真に迫った過去の夢よりもなお生き生きとしていた。この清らかな空に浮き出た屋根の骨組を仰ぎ見たとき,ガーニンはマーシェンカとの恋が永久に終ったことをことを無情なほどはっきりと悟ったのだ。その恋は四日間しかしか続かなかった。おそらく一生のうちで最も幸福な四日間だっただろう。しかし今,彼は記憶を使い果たし,思い出を味わい尽した。そしてマーシェンカのイメージも,死にゆく老詩人のイメージとともに,今はあの亡霊たちの家の中にあり,それ自体もうすでに一つの思い出となっている。
 そのイメージのほかにはマーシェンカは存在しないし,また存在し得ない。(192)
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 この本の帯には映画化が宣伝されている。その一場面の写真も掲載されている。とても観たくていろいろと検索してみたが,どうやら劇場公開のみで,その作品の販売やレンタルはされていないようである。とても残念だ。もし,この映画化に関し,どなたか情報をお持ちでしたら是非教えてください。

 そのほか僕が書きたかった内容の多くは,「訳者あとがき」に書かれてしまっていた。だから,それを一部引用して代えよう。


 「この愛着は一口に言えば過去への追憶,消え去って二度と帰らぬ世界への郷愁であろう」(197)


 「ナボコフが何としても捨てがたく感じているのは,このベルリンの亡命者たちとの生活ではけっしてなく,ガーニンが心の中に再びよみがえらせてゆく遠いロシアでの初恋なのである。この初恋の思い出は,ベルリンでの現実生活とは対照的に,いささか感傷的にすぎるほどロマンチックで甘い。追憶の中に存在するこの過去の甘い世界と現実のベルリンでの苦い生活とが交錯して『マーシェンカ』の独自の魅力を形作っているのだが,作者の意識ははっきりと過去に傾斜している。栄光は過去の思い出に与えられ,それが現在の陰鬱な生活の中にちりばめられて,いっそうの輝きを増すことにもなる。ガーニンにとってはベルリンでの日常生活は影のような亡霊どもの生活にすぎず,追憶の世界のほうがそれよりもはるかに強烈な<現実>なのである。」(198)
 →この過去への傾斜には,ナボコフがロシアの名門貴族の子に生れ,革命のために亡命生活を送る身になったという体験が大きくものを言っている。


 「だがこの追憶は,いかに心の中の<現実>であろうあくまでも消え去って戻らぬ過去の夢であり,物語の結末でガーニンは建築中の家屋の確乎として実在する骨組を見たとき,そのことをはっきりと意識する。作者自身も過去が返らぬものであることを明確に感じとっているために,愛着はなお強いのであろう。……革命による喪失感は彼の場合社会経済的なものというよりは,まず内面的精神的な深い傷となって残っているのである」(199)


 さて。
 このあと,ナボコフ自身の自伝(以下)を取り上げるつもりだった。それが読む順番として正しいからだ。まず第一に同著者によるものであること,そしてそればかりではなく,『マーシェンカ』と『ナボコフ自伝』は,姉妹関係のようなものだ。前者は厳密にはフィクションであるが,ナボコフ自身の実存が色濃く出ている作品である。前者は郷愁の感情冷めやらぬ若い頃に執筆された処女作で,後者はそれから25年後に執筆されたノボコフ自身の記憶に基づく自伝である。この両者を読み比べることはおもしろい。

 ところが,いまどうしても“あれ”に再チャレンジしたくなってきている。何度か完読を試みようとして,それでも,現在のところ部分的にしか読んでいない“あれ”…(笑)。“あれ”とは…? もうすでに何度も触れているし,分かるよね(笑)。最高級の記憶(ノスタルジア)小説…。
 今度は,試しに,その副読本から読んでみようかと思っている。それが読み終わって“乗れ”そうだったら,そのまま突っ走ろう。思ったより“乗れ”なかったら,『自伝』を取り上げようと思う。“勢い”に任せなければ最後まで到達できない…。なぜだか分からないが,そのくらい僕にとって“あれ”は,心身ともに体力が必要なのだ。

2006年2月 4日 (土)

滞り(+)

あぁぁ滞ってる~(笑)。
ちょっと他の作業にハマってしまっていて…。
そして,映画シリーズが何となくひと段落して,ちょっと気を抜いてしまったのもある。
あと,映画だと時間配分がうまくいくのだけれど,ね。

なんて,言い訳してる場合じゃないだろう。

これじゃ先が思いやられる…。

けっして飽き始めたのではありません(笑)。
時間配分の失敗と掛け持ち作業とのバランスが崩れてるためです。


しばし,お待ちを。

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【付記】

  • 【文章について】
    残念ながら,推敲どころか,見直しすることもままならないペース配分で書き,アップしています。喩えるなら,“一筆書き”のような調子で「えい!」と書きなぐっているようなものです。 読みづらい箇所,意味不明な箇所多々あると思いますが,その至らなさも含めてどうぞお楽しみ下さい(笑)。 いつか総ざらい推敲して完成版に近い文章が出来上がったら,それ用に別途ブログを作ろうと考えています。きっと今よりはマシになるかと思われます。そちらも,いずれお楽しみに…。
  • 【現在の状況について】
    現在は,古典から最近のまで,名作から駄作まで,映画から小説,音楽まで,とにかくアットランダムに,あらゆる方向にツバをつけておく段と位置づけています.もちろん,なるべくイイ作品に触れたいのだけれど…. この作業を半年くらい蓄積したら,少しは何かしらに絞って体系的に深めてみようかと思ってます. ノスタルジア・カルチャーの情報,待ってます!

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